第4回 戦後の再生とミュージカル黄金期の幕開け(1945〜1950年代前半)~ミュージカル史~
第二次世界大戦が終わった1945年。世界は深い傷を負いましたが、同時に「希望」「再生」といった新しいエネルギーが芽生えた時代でもありました。アメリカ、特にニューヨークのブロードウェイは、その変化を敏感に受けとめ、以後20年間にわたり「黄金期」と呼ばれる輝かしい時代を迎えます。私たちが今日“古典ミュージカル”として親しむ名作の多くが、この時代に誕生したのです。
戦後社会が求めた夢と理想
戦争直後のアメリカは、社会全体が「古き良きアメリカ」を夢見ていました。兵士が帰還し、家族やコミュニティの再生が進み、理想の家庭像や恋愛像、そして平和な社会への憧れが人々の心を強く支配していたのです。映画館や劇場には人々が集まり、現実の傷を忘れ、音楽や物語の中で希望を確かめようとしました。ミュージカルはまさにその期待に応える形で、理想の愛や社会を描き出し、観客を魅了していきました。
この「夢と理想」を象徴的に形にしたのが、作曲家リチャード・ロジャースと作詞・脚本家オスカー・ハマースタイン2世です。二人は戦後のミュージカルを牽引し、その形式を完成させたコンビとして、今なお歴史に刻まれています。
ロジャース&ハマースタインの革新
それ以前のミュージカルは、歌と踊りがストーリーから独立した「見せ場」として挿入されることが多いものでした。しかしロジャースとハマースタインは、物語と音楽を緊密に結びつけ、「歌がドラマを前進させる」という形式を徹底しました。このスタイルは以後のブロードウェイの基本形となり、現代のミュージカルにも受け継がれています。
『回転木馬』(1945)と「You’ll Never Walk Alone」
戦後直後に発表された『回転木馬』は、ラブストーリーの中に「死と救済」という重いテーマを織り込みました。劇中歌「You’ll Never Walk Alone」は、悲しみに寄り添いながら人を励ます楽曲として広く親しまれ、後にリヴァプールFCの応援歌となったことでも有名です。ポップスやクラシックを越え、多くの歌手にカバーされ続けているこの曲は、当時の人々が求めた「再生」の象徴でもありました。
『南太平洋』(1949)と人種問題への挑戦
続く『南太平洋』は、第二次大戦中の南洋の島を舞台に、アメリカ兵と現地女性との恋愛を通して「人種偏見」というテーマに踏み込みました。名曲「Some Enchanted Evening(魅惑の宵)」は甘美なラブソングでありながら、物語全体は当時としては挑発的な内容を含んでいました。娯楽性を保ちつつも社会問題に切り込んだ点で、ミュージカルがより深い芸術へと進化していたことがわかります。
ミュージカルの普遍性
この時代の作品に共通するのは、「普遍的な人間の感情や葛藤」を正面から描いたことです。愛・家族・偏見・死・希望――どの時代の人間にも通じるテーマを、音楽と演劇、ダンスが一体となって表現したことが、今日に至るまで世界中で繰り返し上演されている理由といえるでしょう。
さらに特徴的なのは、観客が「音楽を通じて物語を追体験する」という構造です。旋律そのものが人物の感情を代弁し、聴く者に深く残る。これこそが戦後ミュージカルが確立した最大の革新でした。
まとめ
1945年から1950年代前半にかけてのブロードウェイは、戦後の再生を象徴する舞台でした。ロジャース&ハマースタインの革新によって、音楽と物語が融合した新しい形式が確立され、ミュージカルは「黄金期」へと突入します。そこには、人間の感情を普遍的に描きながら、観客に夢と希望を届けるという強い力がありました。
次回は、この黄金期に続いて誕生した『王様と私』『サウンド・オブ・ミュージック』『マイ・フェア・レディ』、そして革新的な『ウエストサイド物語』など、1950年代後半から1960年代前半の名作群を取り上げ、ミュージカルが世界を魅了する芸術へと成長していく過程を追っていきます。








