ミュージカルコラム

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第5回 今でも愛される名作の数々(1950年代後半〜1960年代前半)~ミュージカル史~

戦後の再生期を経て、ブロードウェイはついに世界中の観客を魅了する「黄金のラインナップ」を生み出しました。

 

1950年代後半から1960年代前半にかけて登場した数々の作品は、いまなお舞台で繰り返し上演され、映画化もされ、多くの人に愛されています。これらの作品たちが共通して持つのは、普遍的なテーマをわかりやすい音楽とドラマで描き出す力でした。


『王様と私』―異文化理解を描いた名作(1951)

 

リチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン2世の黄金コンビは、戦後も続々と名作を世に送り出します。『王様と私(The King and I)』は、イギリス人家庭教師アンナとシャム(現在のタイ)の国王の交流を描いた作品。文化的背景の違いから生じる衝突や葛藤を通して、異文化理解と尊重の大切さを提示しました。

 

代表曲「Shall We Dance?」は、形式ばった王様とアンナがダンスを通して心を通わせる場面で歌われ、舞台上の緊張を一瞬で温かい空気に変えます。これは、言語や文化の壁を超える音楽と身体の力を端的に示す象徴的なシーンといえるでしょう。

また、この作品はブロードウェイでアジア人俳優が王を演じる数少ない演目のひとつとしても知られ、日本からは渡辺謙さんがロンドンやニューヨークで主演を果たすなど、後世にも大きな影響を残しています。


『マイ・フェア・レディ』―女性の成長と自己発見(1956)

 

次に登場した『マイ・フェア・レディ(My Fair Lady)』は、バーナード・ショーの戯曲『ピグマリオン』を原作としています。ロンドンの下町娘イライザが、言語学者ヒギンズ教授のもとで言葉遣いやマナーを学び、上流社会の女性へと成長していく物語です。

 

この作品が画期的だったのは、単なる「シンデレラストーリー」ではなく、女性の自立や自己発見をテーマにしていた点です。名曲「Wouldn’t It Be Loverly?(だったらいいな)」や「I Could Have Danced All Night(踊り明かそう)」は、イライザの心情を生き生きと伝え、観客が彼女の成長を共に体感できる構成になっています。


『サウンド・オブ・ミュージック』―家族と音楽の力(1959)

 

「ドレミの歌」や「エーデルワイス」など、日本でも教科書に載るほど有名な楽曲を生んだ『サウンド・オブ・ミュージック』。第二次大戦下のオーストリアを舞台に、修道院から派遣された家庭教師マリアとトラップ一家の物語を描いています。

 

音楽を通して家族の絆を取り戻し、やがてナチスからの亡命を決意する姿は、単なるファミリー・ミュージカルを超えて「自由と希望」の象徴となりました。劇団四季など日本でも繰り返し上演され、世代を超えて愛され続けています。

 

この作品の楽曲は、音域やリズムが比較的シンプルで歌いやすく、子どもから大人まで幅広い層が挑戦できます。レッスンに取り入れると、発声技術だけでなく音楽で感情を伝える喜びを自然に体得できるでしょう。


『ウエスト・サイド物語』―現代のロミオとジュリエット(1957)

 

1950年代を代表する革新的な作品が『ウエスト・サイド物語(West Side Story)』です。作曲を手掛けたのはレナード・バーンスタイン。シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』を1950年代のニューヨークに置き換え、白人系グループ「ジェット団」とプエルトリコ移民の「シャーク団」の抗争、そして許されぬ恋を描きました。

 

冒頭のプロローグは、セリフを一切用いず、ダンスと音楽だけで街の緊張感や登場人物の関係性を描き切っています。これはロジャース&ハマースタインが築いた音楽とドラマの融合をさらに押し進めた挑戦でした。

 

音楽面では、クラシックを基盤にしながらもジャズやラテン音楽を取り入れ、ニューヨークの多文化社会を音で表現。名曲「Tonight」「America」「Somewhere」などは、キャラクターの感情と密接に結びつき、観客を物語に引き込みます。

 

バーンスタインの革新は、芸術音楽と大衆音楽の垣根を越えたことにありました。クラシックの厳格さと、ジャズやラテンの躍動感を融合させることで、音楽が社会背景そのものを語る存在へと進化したのです。


まとめ

 

1950年代後半から1960年代前半にかけて、ブロードウェイは世界を魅了する名作を次々と生み出しました。そこに描かれたのは、文化の衝突、女性の自立、家族の絆、移民社会の現実といった、人間にとって普遍的で切実なテーマです。そして、それをドラマと音楽の融合によって表現することにより、ミュージカルは「人生を語る芸術」へと成熟していきました。

 

次回は、1960年代に訪れる社会の変化とともに、ミュージカルがどのように新しい表現を模索していったのかを探っていきます。ヒッピー文化やロックの台頭、そして『キャバレー』『ヘア』といった社会批判的・実験的な作品が登場する時代です。


 

この記事を書いた人

モアミュージカル講師陣~MOAが誇るミュージカル俳優たちがタッグを組み、ミュージカル曲解説を制作~

講師

モアミュージカル講師陣~MOAが誇るミュージカル俳優たちがタッグを組み、ミュージカル曲解説を制作~

【経歴】
元劇団四季やミュージカル俳優などミュージカルに精通したメンバーで構成。共通していることは、全員「レ・ミゼラブル」出演経験があること。
これまでの舞台経験を活かし、商業ミュージカルを含めた歌唱指導を行っている。
【出演経験】
「レ・ミゼラブル」「Miss Saigon」「デスノート」「ピーターパン」「Into The Woods」「太平洋序曲」「ライオンキング」他多数

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