訳詞とミュージカル作詞 —— 言葉と音楽が衝突するとき、作詞家は何を守るのか(第3回)
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ポップスの作詞よりもはるかに複雑で奥深いのが、訳詞、そして ミュージカルの作詞です。プロの職業作詞家としての経験から、一般にはほとんど語られない“現場のリアル”が丁寧に紹介してきます。
そこには、言語の違い・文化の違い・音楽的制約・キャラクター性・著作権管理——あらゆる要素が絡み合う、作詞家にしか見えない世界があります。
■ 訳詞は翻訳ではありません。“再作曲”です
「訳詞とは翻訳ではありません。音楽として作り直す作業です。」
英語の歌詞を日本語に直訳しても、ほとんどの場合は音符に収まりません。英語は単語が短く、強弱が明確で、歌詞としても“音のまとまり”が作りやすい特徴があります。対して日本語は音節が多く、語尾が伸び、同じ音が続きやすい特徴があります。
そのため訳詞では次の課題が必ず生じます。
- 課題①:音数が合わない
- 英語:1音の単語が多い
- 日本語:3〜5音の単語が一般的
→ そのまま当てはめると必ず音が溢れる、または不足します。
- 課題②:文化的背景が違う
- 慣用句
- 宗教表現
- 固有名詞
こうしたものは、日本語に置くと 不自然または意味が消えてしまう ことがあります。
- 課題③:音の響きが変わる
- “r”“th”などの英語特有の響きは日本語に存在しない
- 日本語化すると曲の雰囲気が大きく変わる
訳詞とは、**原曲の精神を保ちながら、日本語のリズム・発音・音楽性を満たす“再創造”**。
■ ミュージカルの訳詞はさらに難しい。「守るべき要素」が多すぎるからです
ミュージカルになると、訳詞はさらに複雑になります。
理由は、歌詞が単体の作品ではなく、物語の一部として機能しているからです。
守らなければならないもの
- 原作のストーリー
- キャラクターの性格
- キャラの口癖・話し方
- 舞台の演出意図
- 音符の数
- 歌い手の発声のしやすさ
- 本国の著作権ルール
- 一人称の整合性
このすべてを満たしたうえで、日本語として自然に聞こえる歌詞を書かなければなりません。
あるロックミュージカルの例では、性的要素を含む歌詞をどこまで表現するかという判断まで求められていました。
「I want to be dirty(汚れたい)」
→ 直訳では作品の雰囲気を壊すため、ニュアンスを保ちながら日本語で再構成
「濡れ濡れ」は不自然になるため「どしゃぶり」に置き換える
これらは、物語とキャラと日本語の響きを同時に成立させるための高度な判断です。
■ 一人称の選択は、訳詞で最も難しい課題です
講座で繰り返し語られたのが、一人称の問題の難しさでした。英語ではすべて “I”。しかし日本語はそうはいきません。
選択肢
- 私
- 僕
- 俺
- あたし
- わし
- おいら
- 俺様
…など
この一語でキャラクター像が決まり、作品の雰囲気すら変わってしまいます。
例えば、講座で挙げられたミュージカル『オペラ座の怪人』では、
ファントムが自分をどう呼ぶべきかが作詞家にとって大問題になります。
- 「俺」では粗野すぎる
- 「僕」では繊細すぎる
- 「私」では距離がある
しかし他に適切な選択肢が見つからず、最終的に「私」が唯一の正解になるというケースがあります。このように一人称だけでも膨大な判断が求められるため、訳詞は単純な翻訳とはまったく別物だとわかります。
■ 音符が変えられない。言葉も変えられない。本国の“縛り”との戦い
ミュージカルの訳詞では、原曲と異なる箇所を作ることが原則禁止されているケースがほとんどです。
- 音符を変えてはいけない
- 構成を変えてはいけない
- キャラクターの表現を変えてはいけない
- 衣装を変えてはいけない
- 舞台装置も変えられない
こうした厳しいルールが存在する中で、日本語で自然に聞こえる歌詞を作らなければなりません。
「この部分だけは絶対に変えてはいけない」と指定されるフレーズがある(例:英語のまま残される象徴的フレーズなど)
特に子ども向け作品では、口癖や決め台詞をそのまま残すことが必須となり、そこから歌詞全体を構成するという高度な編集能力が求められます。
■ 一般リスナーにとっての“訳詞の聴きどころ”
訳詞やミュージカル作詞の難しさを知ると、作品を見る視点が大きく変わります。
- 聴きどころ①:英語版と日本語版の違い
削られた言葉
残されたフレーズ
響きを優先した置き換え
これらを比較すると、作詞家の判断がよく見えます。
- 聴きどころ②:一人称・呼称の選び方
キャラクターの人格を決定する要素であり、
訳詞の“最重要ポイント”です。
- 聴きどころ③:音符と日本語のフィット感
日本語にしても自然に聞こえる部分は、
作詞家が音の配置を緻密に調整した結果です。
- 聴きどころ④:文化的要素の置き換え
宗教表現・季節感・生活文化の違いがどのように日本語へ変換されているかを見てみると、作品の理解がさらに深まります。
今後ミュージカルや映画を観るときは、ぜひ“訳詞”という視点でも作品を味わってみてください。そこには、一般には見えない作詞家の膨大な判断と技術が隠れています。
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