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劇団四季の歴史|言葉を届けるために歩み続けた70年

日本を代表する演劇集団・劇団四季。現在では『キャッツ』『ライオンキング』『オペラ座の怪人』などの大規模なミュージカルで知られていますが、その出発点は、海外ミュージカルを上演するための劇団ではありませんでした。

 

劇団四季の歴史をたどると、そこには一貫して「演劇の言葉を、観客に正確に届ける」という信念があります。

このページでわかること

1953年の創立と、新劇への対抗

三島由紀夫が四季に与えた影響

母音法・呼吸法が生まれた理由

『キャッツ』が切り開いたロングランの時代


1953年、大学生たちによる創立

 

劇団四季は1953年、浅利慶太、日下武史ら、当時の大学生を中心とした若者たちによって創立されました。

 

当時の日本では、社会的・政治的な主張を前面に押し出した「新劇」が大きな力を持っていました。これに対し、若き日の浅利たちは、演劇を思想や運動の手段にするのではなく、「演劇そのものの感動」を観客に届けたいと考えます。

フランス演劇との出会いが原点に

その手がかりとなったのが、ジャン・ジロドゥやジャン・アヌイなど、フランスの劇作家による作品でした。

詩情にあふれた言葉を舞台上に立ち上げるには、俳優が台詞を深く理解し、その美しさと意味を損なうことなく伝えなければなりません。

劇団四季の俳優教育において、言葉が重要な位置を占めることになった原点は、ここにあります。


三島由紀夫との出会いと『鹿鳴館』

 

創立間もない劇団四季に大きな影響を与えたのが、三島由紀夫でした。

 

三島は、演劇とは「文学を立体化した芸術」であると考えていました。戯曲に書かれた言葉が、俳優の声と身体を通して観客へ届けられることで、演劇は初めて完成するという考え方です。そのため、俳優が感情に任せて台詞を怒鳴ったり、言葉を不明瞭にしたりすることを厳しく戒めました。

1956年『鹿鳴館』初演

劇団四季は三島由紀夫の代表作『鹿鳴館』を初演します。格調高く、緊張感のある台詞を一語一語明瞭に届けるため、俳優たちは徹底して言葉を磨きました。

上演は高い評価を受け、半年にも及ぶロングランとなります。この成功は劇団四季の名を広く知らしめると同時に、その後の俳優教育の方向を決定づけました。


海外ミュージカルへの挑戦と「母音法」の確立

 

文学性の高いストレートプレイを上演してきた劇団四季は、やがて海外のミュージカルにも目を向けるようになります。

 

しかし、海外作品を日本語で上演するには大きな課題がありました。日本語に訳すことで、原作のリズムや音楽性が損なわれる可能性があるからです。さらにミュージカルでは、音程やリズムを守りながら、歌詞の意味を明確に伝えなければなりません。

 

この課題に向き合う中で体系化されていったのが、「母音法」と「呼吸法」です。

母音法とは

日本語は母音を中心として成り立っていますが、日常会話では母音が曖昧になったり、言葉の後半が消えたりしがちです。

母音法では、台詞や歌詞を一度母音だけで発声し、言葉の流れと響きを身体に覚え込ませます。その後に子音を戻すことで、音が途切れず、客席まで届く明瞭な言葉をつくります。

呼吸法とは

力任せに声を出すのではなく、十分な息の流れに言葉を乗せることを重視します。

これにより、無理に怒鳴らなくても、大きな劇場の隅々まで声を届けることができます。

これらの訓練の目的は、独特な話し方を身につけることではありません。俳優個人の癖によって作品の言葉が損なわれることを防ぎ、作者が書いた言葉を、できる限り正確に観客へ届けることにあります。


『キャッツ』が切り開いた新しい時代

 

劇団四季の歴史における大きな飛躍は、1983年に始まった『キャッツ』の日本初演でした。

作品のために劇場をつくる

当時の日本では、一つの作品を長期間上演するロングラン公演は、まだ一般的ではありませんでした。

そこで劇団四季は、東京・西新宿に巨大なテント式の仮設劇場「キャッツ・シアター」を建設します。上演する作品に合わせて劇場そのものをつくるという、画期的な試みでした。

『キャッツ』は大きな成功を収め、日本におけるロングラン公演の可能性を広げます。その後も『オペラ座の怪人』『美女と野獣』『ライオンキング』など、世界的なミュージカルを次々と上演しました。

 

これらの作品を日本で成功させたのは、舞台装置の豪華さや楽曲の魅力だけではありません。歌詞の一語一語を明瞭に届け、歌を単なる音楽ではなく、登場人物の言葉として表現する。創立以来培ってきた「言葉への探究」が、大きな力となったのです。


「言葉を届けるための歴史」

 

現在の劇団四季は、専用劇場でのロングラン公演だけでなく、全国各地での公演や、子どもたちに演劇の感動を届ける活動にも力を注いでいます。

 

劇団四季の歴史は、単に多くの名作を上演してきた記録ではありません。

四季が積み重ねてきたもの

文学の言葉を舞台に立ち上げること。

海外で生まれた作品を、日本の観客が自分自身の物語として受け取れるようにすること。

俳優の声を通して、人間の喜びや悲しみ、生きる力を客席へ届けること。

劇団四季が長い年月をかけて積み重ねてきたものは、まさに「言葉を届けるための歴史」なのです。


四季を目指す方へ|背景を知るための一冊

 

この記事は、『劇団四季メソッド「美しい日本語の話し方」』(浅利慶太)を参考に構成しています。

 

劇団四季のオーディションを目指す方にとって、技術を身につけることと同じくらい、その背景やこれまでの歩みを理解することは大切です。なぜ四季が言葉にこだわるのか。母音法や呼吸法が何のために生まれたのか。それを知っているかどうかで、日々の練習の意味が変わってきます。

 

四季を志す方には、ぜひ一度手に取っていただきたい一冊です。


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四季を目指す方へ|モア東京ボーカル教室

モア東京ボーカル教室には、劇団四季の舞台に出演していた講師が在籍しています。四季独自の発声・母音法・「言葉を届ける」表現まで、現場を知る講師がマンツーマンで指導します。オーディション対策もお任せください。浦安・津田沼・葛西・錦糸町の4校とオンラインで、東京・千葉エリアから通えます。

タグ

#劇団四季 #劇団四季の歴史 #母音法 #浅利慶太 #三島由紀夫 #美しい日本語 #モア東京ボーカル教室

この記事を書いた人

モアミュージカル講師陣~MOAが誇るミュージカル俳優たちがタッグを組み、ミュージカル曲解説を制作~

講師

モアミュージカル講師陣~MOAが誇るミュージカル俳優たちがタッグを組み、ミュージカル曲解説を制作~

【経歴】
元劇団四季やミュージカル俳優などミュージカルに精通したメンバーで構成。共通していることは、全員「レ・ミゼラブル」出演経験があること。
これまでの舞台経験を活かし、商業ミュージカルを含めた歌唱指導を行っている。
【出演経験】
「レ・ミゼラブル」「Miss Saigon」「デスノート」「ピーターパン」「Into The Woods」「太平洋序曲」「ライオンキング」他多数

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